朦朧日記 – 2026年7月③

海のようなブルーの中で耳を澄ませている人。周囲には魚のシルエットが泳いでいる。 朦朧日記
海のようなブルーの中で耳を澄ませている人。周囲には魚のシルエットが泳いでいる。

7月31日

水族館へ行った。

水槽でいるかが泳いでいる写真

水族館へ行ったりプールに入ると「生き物って海から生まれてきたんだよな」とか「胎内はこういう水に包まれていたんだろうな」とか妙な気持ちになる。

ずっと続いていた、ものすごくタイトな予定がひと段落して気が抜けている。

7月30日

テレビで、昔やっていたムーミンのアニメーションを見ていたんだけど、ムーミンパパが書斎でずっと、若い頃の思い出を物語に描いてるという設定、大人になってから読むとちょっとアレだな。
友達だったらなんていうか、ちょっと、触れていいか悩むな。

マイノリティという言葉

マイノリティというのは必ずしも、数として少ないという意味ではないんだなあ、と思うことが度々あった。
調べたら普通に「単純に数として捉えることと勘違いされている」とあり、自分の不勉強さを痛感した。
よく考えたら、数として少なくなくても女性はマイノリティ的な立場であるし、まあ、そうだよねえ。勉強になったけど、これまで知ったような顔をして話してたことを思うと、なんとも恥ずかしいことだな。反省し、次へ進むのじや。

SNSで「ヘルプマークができてから、世の中には実は、見えない障害を持っている人がいたくさんいるのだとわかった」と書いてる人がいた。そう言われてみれば、そうだ。
大なり小なりいろんな問題を抱えた人がいることを思うと、障害者というのもマイノリティであれど少数者ではないのかもなあ。(ただの、推測!ソースはないです)

7月29日

すごく共感した記事。有料なので今は全文見られないんですが…。
「広がっているのは優生思想ではなく、もっとゆるい“優生気分”なのでは」という杉田俊介さんの論。

蔓延する「優生気分」 人の命をコストで判断 その統治者目線、なぜ:朝日新聞
津久井やまゆり園事件をきっかけに、一人ひとりが持つ「内なる優生思想」にどうあらがうかが議論されてきました。一方で、SNSなどを中心に包み隠さない差別や攻撃も繰り広げられています。批評家の杉田俊介さん…

SNSを中心に「生きるに値するか、しないか」と、他人の生を線引きする空気は強まっています。

 同時に、他人だけでなく自分自身を「生まれてこなければよかった」「生きていても無駄だ」と否定する言葉も目立つようになりました。「安楽死の法制化」の要求が象徴的です。他者に対するむき出しの優生思想と自己否定とが交ざり合い、高めあっているように感じています。

蔓延する「優生気分」 人の命をコストで判断 その統治者目線、なぜ

まさにその通りだなあ。
他者を理屈で貶める人を見ると「その理屈に適っていないと自分自身も生きていてはいけないと思っているんだろうな」という、切羽詰まったサバイブ感を感じることがある。

「発達障害者は自分が迷惑だとわかっていない」みたいな(バカな)書き込みに、発達障害当事者の人が「わかってる。だから死にたい。」と書いているのを見たことがあって、すごい、わーっという気持ちになった。
死にたいと思わせない社会にしないといけない。

7月28日

人の傷の話を聞く。どこか、自分の古傷が微妙に重なるような気もして、むむむ。
「自分がされたことをしないようにしよう」と思いながら話を聞く反面、当時自分にとって加害者だった人の気持ちを理解してしまった感もあり、これは何か、運命だかなんだかというものに、試されているのかなという感じ。

7月27日

敬語だった相手にだんだんタメ語が増えてくるの、あまりにもささやかなのにこんなにも嬉しい。

脱Googleガイドを書いた

さよならGoogle虎の巻
Googleをできる限りやめるチャレンジをしました。私の情報は私のものだ〜〜!


たぶん詳しい人はより良い選択肢があるんでしょうが
・もともとそんなにITに詳しくない
・英語力に自信がない
・日常的につかう程度
…の人には役に立つと思います!!!

7月26日

やまゆり園へ献花。のち、犠牲者を偲ぶ会。
園への道は、クラクラするほどの暑さ。一転、午後は滝のような雨。時計で決めたように開場時間ぴったりに雨が上がり、帰り道、山の稜線の向こうの雲間に、光るような夕焼け。
喜怒哀楽と悔いと希望が濃密に交差する。人との繋がりや人が集まる場はいつも魔法のようだ。そこにいる人といない人が未来を編み上げる。

詳しく書く気持ちにならない。もう少し抱えておきたい。

7月25日

素敵な人の旅立ちを皆で祝う。手書きの地図があまりにもキュートで胸がキラキラする。

7月24日

めちゃくちゃ暑くてやばい。水分をしっかりとって、とか、そういう心がけでなんとかなるレベルではない。
汗をふきふき、大きな街道の信号を渡りながら「めちゃくちゃな人間の進化のツケだ」と思った。

ツールと受け手

説明が必要な人ほど、説明を理解したり、発信するハードルが高いのが難しいな。といつも思う。

言葉が苦手な人の言葉は気が付かれにくいし、服薬中とかでボーっとしてしまうつらさは、ボーッとしていたら伝えづらいし。
誰かの手を借りる時も、なぜ手を借りたいか伝えなくてはいけない。それはすごくしんどい。
自分のメンタルが最悪に病んでいた時、役所で医療費補助とかの仕組みを聞いたけど、病んでいるから理解できなかったし、聴力の問題で耳鼻科に言ったときも、聴力に問題があるから先生の言っていることがよくわからず、それはちょっと、面白くてわらってしまった。

あと前に「かすみ目対策の目薬の説明書の字が小さくて読めない」と言っていた人がいて、あ〜〜〜〜、と思った。
それは、作った人が悪いな。

相手の困りごとを考えると関係が見える気がする。「想像でしかない」といってしまえば、まあ、そうなんだけど、現実を知って「私が考えたのは、想像でしかなかったなあ!」と気付けたら、それはそれで意味がある。

7月23日

この間、人と話してて「最近、複数の世界を生きてるような感じがする」と言ってしまい、口に出してみて初めて、自分がそう感じていることに気づいた。解離もあるだろうけど、あったとしてもそれは社会情勢のせいだと思う。
内的現実よりホントの現実のほうが、現実味がない。
自分の生活がいま割と良い感じなので、素直に意欲がある反面、政治の状況のメチャクチャさとのギャップがすごくてなんか、長い悪夢を見続けているかのようだ。現実だと認めたくないとすら。

あと、皇室のニュースを見るたびに「愛子様にちゃんとしたセラピストがついてるといいな…」と考えてしまう。
可哀想すぎる。雅子さまだって皇室に入ったときすごいつらそうだったし…。幸せに過ごしてほしい…。

語りと傷と編み物

傷つくのを覚悟で本音を言い合う、というのは、わかりやすそうに聞こえるけど、ある程度”本音”を使いこなすスキルがある人の高等テクニックだと思う。
出てきた本音を直に言葉に吐くのではなくて、マフラーを編むように”本音”を編んでいく人もいるのだ。
マフラーになる前にその編み目を壊したら、その人の”本音”は見えないのだ。

前に、相手の気持ちを想像しながら少しずつ話していたら「ぶつかるのが怖いから、ぶつからない話し方を考えてるんでしょ」と言われたことがあり、とても悲しかった。
傷に気をつけながら話すことを「対立からの逃げ」と捉える人がいるのかと衝撃を受けた。

夜、最首悟さんの番組を見る。タイトルは「わからなさの中で」。
わからないけど、わからないまま「ぐぬぬ」と言って、その過程の中で笑ったり転んだり反省したり喜んだりしたい。その途中でどっかで手をつなげたりする。そういうのがいい。生きているってかんじ。

7月22日

リアル現場が最善なのは承知の上で、それでもネットとか本とかZINE?フリペ?とか、リアルじゃない“居場所”の可能性を探したい。 家を出られない人や人と話せない人にも、門戸を開きたい。

頭がぼーっとして布団から出られなくて、文字読むのもしんどくて、世界は自分を置いて行っている気がして、それでも何かをしたくて知りたくて、安心したかった時の自分や、今そういう感じの人に向けたものを作りたい。死なないためです。

テキストを書きました

違和感であり続けろ
やまゆり園事件についての資料を見る。事件の流れを改めて見ていたらふと、犯人が語った優生思想と、今の日本の在り方が重なって見えた。


むむむ、と思うといつも長文になってしまうな。

7月21日

穏やかで優しい友達が「わたし、もうちょっとねえ、ビシっと出来たらいいなあって思うんだよねえ」と穏やかに笑っていて、すごいよかった。「ビシっとしてなくても、好きだよ!」と思った。

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