
7月24日
めちゃくちゃ暑くてやばい。水分をしっかりとって、とか、そういう心がけでなんとかなるレベルではない。
汗をふきふき、大きな街道の信号を渡りながら「めちゃくちゃな人間の進化のツケだ」と思った。
ツールと受け手
説明が必要な人ほど、説明を理解したり、発信するハードルが高いのが難しいな。といつも思う。
言葉が苦手な人の言葉は気が付かれにくいし、服薬中とかでボーっとしてしまうつらさは、ボーッとしていたら伝えづらいし。
誰かの手を借りる時も、なぜ手を借りたいか伝えなくてはいけない。それはすごくしんどい。
自分のメンタルが最悪に病んでいた時、役所で医療費補助とかの仕組みを聞いたけど、病んでいるから理解できなかったし、聴力の問題で耳鼻科に言ったときも、聴力に問題があるから先生の言っていることがよくわからず、それはちょっと、面白くてわらってしまった。
あと前に「かすみ目対策の目薬の説明書の字が小さくて読めない」と言っていた人がいて、あ〜〜〜〜、と思った。
それは、作った人が悪いな。
相手の困りごとを考えると関係が見える気がする。「想像でしかない」といってしまえば、まあ、そうなんだけど、現実を知って「私が考えたのは、想像でしかなかったなあ!」と気付けたら、それはそれで意味がある。
7月23日
この間、人と話してて「最近、複数の世界を生きてるような感じがする」と言ってしまい、口に出してみて初めて、自分がそう感じていることに気づいた。解離もあるだろうけど、あったとしてもそれは社会情勢のせいだと思う。
内的現実よりホントの現実のほうが、現実味がない。
自分の生活がいま割と良い感じなので、素直に意欲がある反面、政治の状況のメチャクチャさとのギャップがすごくてなんか、長い悪夢を見続けているかのようだ。現実だと認めたくないとすら。
あと、皇室のニュースを見るたびに「愛子様にちゃんとしたセラピストがついてるといいな…」と考えてしまう。
可哀想すぎる。雅子さまだって皇室に入ったときすごいつらそうだったし…。幸せに過ごしてほしい…。
語りと傷と編み物
傷つくのを覚悟で本音を言い合う、というのは、わかりやすそうに聞こえるけど、ある程度”本音”を使いこなすスキルがある人の高等テクニックだと思う。
出てきた本音を直に言葉に吐くのではなくて、マフラーを編むように”本音”を編んでいく人もいるのだ。
マフラーになる前にその編み目を壊したら、その人の”本音”は見えないのだ。
前に、相手の気持ちを想像しながら少しずつ話していたら「ぶつかるのが怖いから、ぶつからない話し方を考えてるんでしょ」と言われたことがあり、とても悲しかった。
傷に気をつけながら話すことを「対立からの逃げ」と捉える人がいるのかと衝撃を受けた。
夜、最首悟さんの番組を見る。タイトルは「わからなさの中で」。
わからないけど、わからないまま「ぐぬぬ」と言って、その過程の中で笑ったり転んだり反省したり喜んだりしたい。その途中でどっかで手をつなげたりする。そういうのがいい。生きているってかんじ。
7月22日
リアル現場が最善なのは承知の上で、それでもネットとか本とかZINE?フリペ?とか、リアルじゃない“居場所”の可能性を探したい。 家を出られない人や人と話せない人にも、門戸を開きたい。
頭がぼーっとして布団から出られなくて、文字読むのもしんどくて、世界は自分を置いて行っている気がして、それでも何かをしたくて知りたくて、安心したかった時の自分や、今そういう感じの人に向けたものを作りたい。死なないためです。
テキストを書きました

むむむ、と思うといつも長文になってしまうな。
7月21日
穏やかで優しい友達が「わたし、もうちょっとねえ、ビシっと出来たらいいなあって思うんだよねえ」と穏やかに笑っていて、すごいよかった。「ビシっとしてなくても、好きだよ!」と思った。


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