
6月17日
お米の球体が日本語と英語で喋るインスタのアカウント、延々と見てしまう。危ない。何なんだあれは。
Omoshiroi-na…。
テキストを書きました

声をあげること、あげないこと、あげない結果の話を書きました。
若い人はいざ知らず、30代後半以降でありながら、シュプレヒコールや過去の市民運動を冷笑する人に私は言いたい。「あなたはシュプレヒコール以外の、何をしてきましたか?」と。そしてそれはどう言う結果を生んできましたか?
6月16日
友達と会う。なんか難しい話ばかりしてしまった。
モヤモヤとした話をしながら、公園に座る。夕方の日差しは金色なんだなと思った。
加担への自覚
幼少期、歌手として歌を歌ったことが戦意高揚への加担だったと気づいた、という方の話
自分の前には『あなたの歌で戦争に行った』という人は現れなかったけど、もしかしたらいるかもしれない。1人かもしれないし、何百、何千かもしれない。
(…)戦意高揚の罪。冗談ではなく本当に自分は“戦犯”だと真剣に考えるようになりました
漫画の歴史を調べてるとやっぱりいろんなところで、終戦前後の歪さが現れていて、また、作家本人の苦悩も見えてくる。戦争を体験した人の話を見聞きすると必ず「そんなつもりはなかった」「そうなると思わなかった」と言う言葉が出てくる。今もそうだと思う。何もしないことがまさか“加担”だとは思わないだろう。
6月16日
障害のある人のアート
事業化できるのはすごいなあというのと「お金によるものさしを、そこに当てはめて良いのかしら」という引っ掛かりの両方を感じる。
批判的な気持ちは本当に全然ないし、そういった雑貨などもよく買うんだけど、何かの価値としてとにかくいつもお金が出てくることを気にし始めると「おっ、ここでもまたお金が…」という気持ちになる。
お金がないとどうにもならないのは事実だし、相互扶助なんて理想論かもしれないけど、お金以外のスケールをなるべく意識的に持っていたいな。なんというか、倫理観として…。
デモに集まっている人
デモに行くと共産党にオルグされるとか誰の命令で集まってるとか言う人がいるけど、今のデモに来てるのはほんとに個々人だし、“誰かが扇動(指示)してる”というあの発想がわからない。頓珍漢すぎると思う。
誰かに指示をされたから人が集まっている、という発想は、言ってる人自身がそのようにして政治を見ているから出てくるんだろうなと思う。絶対的な指示者がいて、皆がその人の言う方に歩む、という。
6月15日
いずれきちんとした名刺を印刷屋で作るつもりで、簡易的な名刺をPCで印刷してたんだけど、そのまま一年が経過。急ぎで必要な場面が発生して、結局、“簡易”のデザインのままで印刷に出した。
まあ、そんなもんだよね…。「いずれ」っていうのはね、来ないんですよ。知ってた?私は知ってたよ。知ってたのにやりませんでした(懺悔)
社会運動と女性の話③
ここしばらく自分が足を運んでいた、デモや市民団体は、なぜ女性が多いのか?と思っていたけど、昨日、事業として社会貢献やNPOをされている方の集まりに行ったらそっちは比較的男性が多くて、ああ、これが答え合わせ!という感じだった。(とはいえ、極端な偏りではなかったと思う)
でも少なくとも「ケア労働=女性、という悪しき慣習!」という個人的な苛立ちからは結構解放された気がする。やはり、悩んだらとりあえず人のいるところへ行くべきだ…。
ストリートの意味
路哲、全て肯定できるわけではないけど、記事のこの下りはすごく良かった。“ただ居る”のはとても大切なことだと思う。

これまではヘイト街宣に対して、俺たちが抗議に駆け付けていました。でもこの場ではヘイトに先んじて反差別を啓発していて、立場が逆転しましたね
6月13日
トライガンの設定資料集が発売されることを待ち続けているのに、シャンシャンの写真集が出ることを知ってしまった。うーん。懐がほっかほかだったら何冊でも買うけど、悩ましい…シャンシャン…。
仲間と政治の話をすること
政治について、同じ危機感を持つ人と話せると、ホッとするけど、ホッとする気持ちと、ここで仲間と「ねーっ」ってやってるだけではいけないのでは?という焦燥感と「それはそれとしてケアはされたい」みたいなのが全部ある。
自分は主軸としては、メンタルヘルスの問題や生きづらさのある人に向けたもの作りをしてるんだけど、それは、必要な人に必要なことを届けるって感じだったから、わかりやすいんだよね。 他方、今の政治の状況とかに関しては、関心の無い人に向けた発信が必要になるので、なんかそのへんを、難しく感じる。。
共感するんじゃなくて共感出来ないという所から話をスタートさせるって難しい。
自分の本(「解離性障害、なんです。」)は、居場所や自助グループのような本を目指して作ったんだけど、今の反戦や種々の不安についても同じことができないかな、などとぼんやり考えていた。基本的に長期に付き合う内的なもの(障がい)と時事問題は同じやり方にはならないけど、なんか……。
問題の詳細ではなくて、 パーソナルな側面。関心を持ったきっかけとか、日記みたいな、それが時代のアーカイブとなるのも、いい。
進んだ先へのリスペクトと同時に、なかなか進めないナイーブさと戸惑いも、大切にしたい。それは行動の卵だから。ナイーブすぎて甘っちょろくて、 “今そんなこと言ってる場合じゃない”こととも話したい。
政治の動きを監視するような気持ちで目を吊り上げてニュースを見てるけど、仲間がいることを思えば、四六時中見張り続ける必要もないのかもしれない。
警備員だってシフト制でやってるんだから、なんというか、休んで、次回出勤時に、引き継ぎ資料を読むような…。一人で全部背負えるわけないので、いや、だからこういうのを連帯と呼ぶんだろうか。
戦争や差別に対抗する連帯というのは、集まった時点で傷を伴ってるものだけど、何はともあれ人と会えるのはありがたいし、傷を伴わなくなっても出会った事実は消えない。
6月12日
なんかな…と思って、住んでいる町に「憲法改定の動きについて何か国への働きかけは行なっていますか」的なご意見メールをしてみた…。
おっと、差別ですよ
障害者差別に取り組む中で女性差別の問題が出て話し合った数日後、外国人差別の問題を話す場で「政治や社会について考えてない人たちというニュアンスで「田舎で高卒で就職した人」と言っている人に遭遇。高校中退の私は「おお…」という気持ちになったが、なったのだが、話の流れを遮るなと思ってスルーしてしまった。
差別を指摘するのは難しい。それが自分に向いたものではあっても難しいのだなあと思った。
余談ですが…
“Fラン大学”とかいう言葉がしばしば問題になりますが、学歴差別は当然のように蔓延していてすごい。高校中退&同じような人が周りに多いワタシとしては、不登校や中退と「社会を考えてない人」とはさほど結びつかないんだけど、先述のように「考えてない人」の代名詞のように使われていることが多くて、いつもモヤモヤする。この記事を読んでいるみんな!要注意だ!)
6月11日
反戦アクションについて「こんな事やめられるものなら早くやめたい」というのも、まあ事実ではあるけど、言いたいことや疑問があったときすぐアクションを起こすという、そのやり方自体は全然、やめたくない。「主権者たる俺だぜ〜!」という態度で生きていきたいよ。



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