政治の話をするとかしないとか

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良くないんだろうなと思いつつ、 現状に意見をするかどうかで、私の中でその人への評価が分かれてしまう。

いま、政治について話さない人は、なぜ話さないんだろう。色々事情はあるのはわかってるけど「話してほしい」と思ってしまうし、政治への不安やいらだちを話題にされるとかえって安心する。
混乱の影響はこういうふうに生活のささやかな所にジワジワ出てくるんだろう。

気持ちがつながる人間関係が新たに作られている実感がある一方、これまでの知人に「なんか変わったよね」と心配される(?)ことがしばしばあった。

その言葉に私自身、戸惑いや意外さも特に感じなかったし「そうだよね」と思う。ただ、どう考え方を変えても正直、前と同じに戻ることが、できない。そうしたいとも思えない。少なくとも今は。

私はずっと、生活のささやかなところ、半径数メートルを大事にしてきた。社会的な問題が大きくなっても、そのささやかな範囲を必ず守ろうと思っていた。
けれどもそれは「みんながそうなれば平和になるのにな」という気持ちを前提の上に成り立っていたのだ。
ここまで平然と、排外主義が蔓延していく中で、同じような気持ちでいるのはもう難しい。

これまでも、柔らかな抵抗のつもりで作品を作っていたし、それは今でも変わらない。でも残念なことに、そういう小さくささやかで湾曲的な声が抵抗として機能するフェイズはもう完全に過ぎてしまったと感じている。
バカみたいに直球な、資本と権力に、そして形を持たない“なんとなくのムード”に消され、スルーされるのである。

「ただ粛々と生活を守る」。そういう意見もあるだろう。けれども、私は強く言いたい。生活はもう壊されてるじゃないか、と。

とはいえ今のところ、何をするのがベストなのかよくわからない。デモやスタンディングをしたり、自分自身が勉強をしたり、政治家へFAXやメールを送ったりしてきたけど、武器は輸出され、国民投票法も個人情報保護法は改悪され、我が国のトップはろくに記者会見もせず、他国のプラットフォームに書き込むのを公式な意見表明みたいにしてどんどんことが進む。

何をしたら意味があるのか、あるいはもはや何も意味がないのかわからない。

ただ、呆然と立ち尽くす私を追い越すように、希望を失わず、行動を続ける人たちの光を、心の命綱のように思いながら暮らしている。

そして願わくば私もそのように、誰かの命綱になっていたい。

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