朦朧日記 – 2026年6月③

イラスト。画面を横切る鳩のシルエット。それを見上げている人。 朦朧日記
イラスト。画面を横切る鳩のシルエット。それを見上げている人。

6月30日

国旗を壊したり怪我したりしたら刑罰に処されるらしい。

怒号と共に日の丸を振り回そう。国旗をみっともなく使うんだ。壊すんじゃなくて、壊れているのを振り回すならピッタリじゃないか。この国の政府を著しく不快に感じ、嫌悪している。
ああ、もう、つらいなあ。

6月29日

めっちゃいいバンドを見つけた。かわいくパンクで最高だ。

The Blushes, by The Blushes
11 track album

漫画を描きました

プラカードの展示に参加した話
様々なプラカードを展示するイベント「あなたと私が生きてくフェス」に参加しました。

様々なプラカードを展示するイベント「あなたとわたしが生きてくフェス 」(東京)「pop step clubプラカードコレクション」に参加した話です。
これからの力でありつつ、ここまでのケアでもあるような企画でした。ONE PERSON. ONE POWER🫶

6月28日

区役所で、かっこいいバンドマンにナンパをされ「いやいや、なんでここで?」と言う夢を見た。
そりゃそうだよ。

わかりたがる

障害の話とか取材の話を見聞きしていると、相手を「知りたい」自分と、他者から「知られる」自分が対立するような気持ちになる。当事者性というのはこういうことなのかなあ。
「わかられてたまるか」という気持ちがある。

障がいの話は、こちらの状況を丁寧に聞かれれば聞かれるほど「そこまで丁寧に聞かないと解らないくらい、この人の生活と私の障害は離れているんだな」と感じて、少し寂しくなる。別に、聞き方が悪いとか不満だとかじゃなくてね。むしろ丁寧に聞いてくださるのはありたいんだ。だけどね、誰が悪いことではなくてね、現実が悲しいという感じ。

私が人から、話を聞くときも同じような感じがする。「知ろうとしてこなくてすみません」という気持ちに少し冷や汗をかくような気持ちで話す。
相手との距離は、自分が遠ざけてきた時間と比例している。

6月27日

アメリカで、反ファシズム的なZineや読書会を行ったクリエイターが次々と逮捕されているという話。
読書会がテロ予備軍だなんて!
ばりばり容易に想像し得る、日本の未来でこわい。

‘This is injustice’: how leftist zines were used to sentence anti-ICE protesters to decades in prison
Advocates sound alarm after zines were used as evidence to convict protesters of terrorism charges tied to 2025 protest …

テキストを書きました

作品の良し悪しが、資本家や国家の顔色伺いと直結することがムカつく、と言う話です。

好かれるとかウケるとか良作とか
作品を、人に見てもらう方法を話していると、自然とSNSウケの話になるのがきつい。注目や評価が、権力に気に入られることとイコールになってるのが、すごく嫌だ。

6月26日

あちこち出かけて、色んな人に会う日だった。
ずっと会いたかった方に会えてテンションが空回りしてどもりまくってしまい、どもりながら若干、自分でウケていた。

出会いや話に感動しつつ、朝から晩まで「台風がいつ来てしまうか」とハラハラもしており、なんかつむじ風のような日だった。

しかし、こんなに素敵な人や場や機会があって、仕事だって悪くない感じなのに、暮らしている国はどんどん悪くなっていて、そのギャップに理解がついていかない。キラキラしたときめきと無風の失望の間をずっと彷徨っている。

不安でたまらない、と言う私。不安を行動にしていく人。話を深める人、あえて話さない人。
当たり障りのない話を続けるとふと“障り”の端に触れることがある。手を避けるべきか掴むべきか悩む。

6月25日

モノクロ印刷のポテトチップスの袋に、絵を描くのがにわかに流行っているというニュースを見る。

批判されるべき事態を、被害者である市民が楽しんでいては、問題の所在があやふやになってしまう。

しかし似たような意見を書いていたXのポストに「たかがお菓子のパッケージが変わった程度で何が危機なのか」「素人が考えてもどうしようもないし」「日本ができることはないでしょ(だから楽せめて楽しもう)」というリプがたくさんついていて、ああ、なんとなく話が噛み合わないなと思う人は、こういう感覚なのか!と、腑に落ちるような力が抜けるような、虚しいような気分になってしまった。

意見が通じない人にどう話すか?としばらく考えていたけど、そういう時間はもうないのかもしれない。

対話が無駄とは思ってないけど、ちょっと、それをやっている時間がもう、ない。
現状程度の危機感の広がりがあるなら、そこから前へ進むことだけを考えたほうが効果的なのかなという気がしてきている。

6月23日

恥ずかしながら紙の新聞を久しぶりに読んだ。ネットだと個別の記事をポチポチクリックするけど、新聞だと一覧できて、冒頭だけ拾い読みできたり、一通りの記事の冒頭をいくつも読んだうえで、気になったものは全部読む…みたいな読み方ができて、いい。

私たちは透明だろうか

なんか呆然と、徒労感に負けることがある。これまでも、頓珍漢な政策とかその場しのぎの対応だとかで政権を批判することはあったけど、現政権はその、頓珍漢な政策すらしていない。

物価高も石油不足も、住宅価格の高騰も、また、インフラの老朽化という致命的なことすらろくに解決されないまま、くるかもしれない脅威と、起こるかもしれない混乱に向けて、根拠のない法案をバンバン通している。 くるかもしれない脅威の前にすでに来ている危険を解決してほしい。

何によらず、極めるとか深めるとかよりも、その場をいかにうまくやるか、というのが優先されすぎていると感じる。
生成AIで書かれたネット記事、人の尊厳を奪って国益(?)を得ようとする政策、内容よりインパクトを優先するショート動画、極めつけが、お金を払って作られた話題製で選ばれた首相だ。
その場しのぎというのは、本当は「その場」だけなので、少し崩れたらダメになる。でもその場しのぎが延々と続けば、なんとなく“続いてきたもの”みたいになる。そういうものの連続が、今の政治であり、先述のような雑なコンテンツ群なのだと思う。

「それでもコツコツ、自分を生きて行くこと!」と思っているけど、下劣な“その場しのぎ”がはびこる中では、のんびりコツコツ、なんてやっていたら、取り残されるだけになってしまう。

台風で何もかもがふっとばされてる中で「わー!あれもこれも飛んでいってしまった!」とすべて掴もうとして手を振り回してるような感じが、ずっとしている。
全てを持つのではなくて、最低限「これだけは吹っ飛ばされたくない」というものを決める方が良いのかもしれない。ムカつくけど、このままでは全て吹っ飛ばされて、自分が透明になってしまいそうだ。

6月22日

心を落ち着けようと思って、リラックスする音楽を流すアプリを入れたんですが、私はかつてブラックな労働環境で仕事をしており、その時職場でよく流れてたのがモーツァルトだったんですね。それでいまだにモーツァルトを聞くとパワハラ圧で焦りながらパソコンに向かっていた過去が思い出され、ああ、何も悪くないのに、かわいそうなモーツァルト…。

辞めてからもう15年くらい経ちますが、私は時々、勤めていたその店舗を検索してはGoogleの口コミの悪さを確認し「相変わらず最悪な口コミを書かれ続けているな、ざまあ」と思っています。
でも15年以上一貫して口コミが悪くてすごいし、なのに続いてるのもすごくない?

数字は価値ではない

お金の有無や他者からの承認が、個人の価値として大きくなることに、 加担したくないなあ。 (大いに自戒をこめて…)その行き着く先は、それらを持たない人の排除でしょう。 まさに、障害者や、マイノリティを切り捨てる構造に直結している…。生活保護バッシングも、 その一部だ。
経済的発展であったとしても倫理観の退化だと私は思う。
私がずっとこんなに怒り続けてるのはやっぱり、 精神障害のある仲間からしばしば聞かれる 「私たちなんて」 という声が悲しいからだ。
自分のせいではないのに、彼らをああいうふうに感じさせてる構造を、 壊したい。

管理されるインターネット

若年層のSNS利用を禁じる動きあるとの報。

危険から守るというのは実際は建前で、子どもに限定しない多くユーザーの監視をより促進させる前段階なのだと思う。
やんわりと 「管理は必要だよねウンウン」という受容が進めば人は、「管理というのは必要なものだ」と認識するようになる。
安全のためといって、権力が個人の情報にアクセスするのは、果たして安心なんだろうか。

安心安全の基準を誰かがブラックボックスの中で采配する。それを無批判に是認するのは、監視や管理を受け入れることなのに。

しかしながら、監視社会が進んだとて、アメリカやヨーロッパのような反発は日本では起こらないだろう。人権感覚の欠如と主権者意識の低さゆえ。


デモを始めとした抗議行動について「こんなことやめて早くデモのいらない生活に戻りたい」 という論をしばしば耳にする。しかし真に必要なのは 「いつでもデモを起こせる。私たちにはその権利がある。」という、社会に対する主権者意識であり、それを血肉とすることではないだろうか。

一連が一段落ついたら安穏とした生活に戻るのでは、水の泡ではないか。

今盛り上がっている抗議行動は、ようやく手にした「私のことは私が決めて、進みたい」という尊い感覚だろう。
それをみすみす手放すことはない。

抵抗運動のある生活、 権力に楯つく覚を、がっしり捉えて手放さないこと。

6月21日

先日、初めて日中の反戦アクションに参加しました。

私が行くのはいつもそこそこ大きめのデモだったので、昼間、自分たち以外にアクションをしてる人がいない中でスタンディングをするのは初めて。企画の人はスピーカーでスラスラと話していたのに、私はドキドキして、たった30分ほどでもめちゃくちゃ長く感じました。

陸空海“自衛官募集中”

デモやスタンディングを茶化す人もいるけど、人前で自分の意見を直球で話すのは簡単じゃない! というか、不特定多数の、生身の人間に訴えること自体かなり難易度が高い…。継続している人はすごいな。

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