
12月31日
大掃除、をするつもりだったが体力尽きてしまい、希望の半分くらいしかできなかった。大体私は、己の行動力を高く見積りすぎなんである。
絵日記を書きました
2025年の供養
今年は前半と後半の陰陽がすごかったです。前半、「こんなに完璧でどうしよう」くらいの気分だったのが完全に急転直下。つまり全体にならしたら“普通”であり、う〜ん、神様はうまいこと采配している。
今だからオモロ話として書きますが、春頃、あんまりにも望みに対して完璧な状況が揃っていたので「完璧すぎて怪しい。大丈夫だろうか」という理由で、数千円をかけて占い師に見てもらおうとしていました。
しかし生来の延ばし癖でダラダラしていたら完璧と思っていた状況が崩れ出したので、占いに行かなくて良かったです。
良かったのか?
あと、散々偉そうにインターネットやAIの危険性に文句を言ってるのに、Yahoo!知恵袋という人力プライバシー漏洩サイトにどハマりしたのも、今年のダメエピソードとしてここで供養します。
12月30日
おせち料理を作り始める。
ここ2年ほど、品数にこだわって一品ずつの味がいまいちだったので、今年は少数精鋭にした。
相談窓口とか
年末年始の生活相談窓口などの情報を見る。
しかしそういった支援もひととおり、都市部に集中しているので、そこから離れた人はどうしているかなぁと思ってしまう。経済的に難しかったら、行く交通費もかかるし、それなりの気力もいる。
23区を離れてから、都市部へ行くことのハードルを身をもって感じるようになった。
郊外と言えども東京都内だし、今の街も好きだけど、都心にいた頃に比べたら交通費は結構かかるし、ベンチとかがないと「少し休憩」するにもお茶代がかかってしまう。移動に伴う出費が多い。
12月29日
AI検索、あんなに文句を言っていたのにここ数ヶ月であっという間に馴染んでしまった。
最初はパソコンやアプリ周辺のことを聞いていたのだけど、ケーキやおせちを作っていたら、調理方法を調べるのに便利だということを発見。「蒸したさつまいもがポソポソしちゃったんですけど、あとから直せますか」とか聞くとね、便利だよ。ああいうのは、調理の失敗は、なるべくすぐ対処しないとアレだから…。
夫に「結局便利に使い始めてしまった。すぐ冷静に返してくれるんだもん。まあ、ロボットだから…」とぼやいたところ「GPTは涙を流さない?ロボットだから?マシンだから」と返され、感動した。
さすが人間は一枚上手である。返してくれないでしょう、AIは「ダダッダー」とは…。
「いいえ。涙を流しません。でも泣きたい気持ちに寄り添うことはできます」と返されました。
テキストを書きました
12月28日
荻窪TOP BEAT CLUBでデキシード・ザ・エモンズのライブ。
しばらく行けなくて、ファンの人がアップする動画をXでメソメソ眺めていたので、登場した瞬間「本物じゃん!!!!」と思ってしまった。デキシーのライブを見る度に私の寿命は、伸びる。
12月27日
自分の被害体験について話すことはめったにないんだけど、最近になって、たまに人に言うようになった。そうしてみて気づいたんだけど、驚くほど「実は私も」という人が多い。そして、あまりにも加害パターンが似ているので、なんか面白くなってしまい「コピペか!」とか言って笑ってしまった。相手も笑っていたので、まあ、よかった。
解離やメンタルヘルスの話はこれまでもしてきたけど、それもやっぱり、私が話たら相手も打ち明けてくれた事が多かった。被害の当事者が口を開く。その意味の大きさを感じる。
逆に言えば「味方と思える誰かがいない限り誰にも言いたくないのだな」ということも。
私は障害を持つことになったという今と、これからの未来については話せても、被害的な話はほぼしない。
話すことによって、何か励まされたり、妙なアドバイスをされる可能性とショックを考えたら、別に一生話さなくていいと思っている。
話すというのはそのくらい、重いことなのだ。
当事者の語りが説得力を持つからと言って、当事者に、語りや啓蒙を求めないで欲しい。と、いつも思う。私個人のことではなくて、社会の風潮として。それは当事者の善意に甘えているとすら言えるだろう。
極端に言えば、同じ社会に生きてる以上誰だって当事者だ。あまりに無邪気に質問を仕掛けて来る人や、正義の有無を問うて来るような人は、自分が座っているのが当事者とは程遠い“安全な審査員席”なんだとわかっているんだろうか。
12月24日
クリスマスケーキにのせるいちごが1400円でショック!さすがに買わなかった。
駅の名前
人にJR中央線の豊田駅の話をしたら「ああ、立川・日野・豊田の“豊田”?」と言ってきて、そんな言い方をする人に初めて会ったなと思った。
バウンダリー
自他境界についての本を読んでいたら「会話が不安だったら拒否する。安心な関係なら拒否しても関係は変わらない。拒否すると続かないならそれは安全な関係ではない」と書かれていた。
「不安を認められると安心」って、とんちみたい。でもこれが普通なのかな。私は基本的になんでも受け入れていたと思う。
12月23日
夕方、自転車で走りながら、いつだかわからないのに「これはいつか見たことある空だ」と思った。
日本の師走のスーパーは、クリスマスと正月が「色が赤と白である」という共通点で以て共存している。
生鮮売り場に並ぶイラストは、サンタクロース、クリスマスのベル、真っ赤なリボン、しめ縄、トナカイ、獅子舞。
しかも数年前までは、天皇の誕生日がなんとなく「プレ・クリスマス」みたいな扱いだったのだ。今思うとすごい。混ぜすぎている。
テキストを書きました。
12月22日
ぼんやりとヒストリーチャンネルを見ていたら、オカルト番組で「人間の遺伝子に宇宙人が暗号を仕掛けている。だから人間はここまで生存してきたのだ」みたいな論が出てきて、ついテレビに向かって「いやいや」と言ってしまった。
12月21日
遅くまで寝て、寝起きでぼーっとしてたらJ-waveで平沢進の「白虎野の娘」が流れ始め、まだ夢を見てるのかと思った。
朝のJ-waveでヒラサワがかかることなんかあるんだ。(「パプリカ」4K劇場上映の話だった様子)
ペンを持つ感じ
最近手書きの日記が書けない。タイプするのではなくて、ペンで書くと、出来事と文字がリアリティをもって結ばれる。現実を認めたくないのだと思う。
久しぶりに絵の具で絵を書く。たのしい。言葉じゃないほうがいいこともある。






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