死の匂いを以て戦争に反対する

イラスト。魚が骨だけの状態担って水槽の中で泳いでいる。それを見つめている大きな顔。 テキスト
地図で見る広島>「原爆の絵」と「証言」|戦争|NHKアーカイブス
NHKでは、原爆被害の真実を語り継いでいくために様々な企画に取り組みました。この特集記事ではそれらの特集・番組・証言等を集約して掲載しています。

原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ 地図で見る広島ー「原爆の絵」と「証言」

1974年。原爆の被害に遭った方達から、NHKが当時の様子を描いた絵を募集したのだそう。
焼けた身体で走る人の絵。子供の躯を親の手で焼く絵。
昨年、近代美術館で行っていた戦争画の展示でこれらの一部を見たけれど、つたない絵柄に「それでも伝えたい」「忘れたくない」という歯軋りにも似た声が滲んでおり、絵の前で泣いてまった。隣で見ていた人も泣いていた。
こんなふうに惨たらしく、人の生活や、人生を奪うのが戦争なのだ。

そして8月6日。戦後81年目の広島原爆の日。
平和記念式典で、非核三原則の継続を微妙に濁す首相に、眉を顰める。
一方、防衛大臣はなんと、ミサイル発射の動画をSNSにアップしてはしゃいでいた。投稿を見た途端、私は自分の体が怒りでカッと熱くなるのを感じた。
恥を知れよ、と思った。

「国交や防衛のために武器や戦争も厭わない」という論をぶつ人を見ているといつも「死の匂い」のなさを不思議に感じる。
私は戦争を体験したことがない。けれど、自国の戦争の歴史を見聞きしたり、現在進行形で起きている、ウクライナやパレスチナのありようを見れば、戦争というのが生活や文化の略奪だというのは痛いほどわかる。
そこには爆撃で大破される生活があり、土埃があり、血や死体の匂いがする。その死体を見るその人もまた、明日は我が身なのである。戦争や核兵器も、方法としてやむなしとする人は、この生々しさを想像したことがあるんだろうか。

ミサイルは、発射だけでその目的を終えるわけではない。遠方から見える爆撃の煙ではなく、その先で悲鳴をあげる人がいる。その人にはどんな暮らしがあり、過去があるだろうか。ミサイルを見て、どんな顔をするだろうか。

それらを考えて、それでもなお「戦争もやむなし」と言えるのが不思議でたまらないのだ。
考えた上で話してるなら悪魔だと思うし、知らないなら、一刻も早く知ってくれ。

生活はそんなふうに軽薄に、想像で奪われてよいものではない。人間はゲームのコマではない。生活があり、過去があり、日々の暮らしがあり、血と肉と涙を持ち、死ねば生々しい骸になる。
そんなこと、わかるはずでしょう。あなたも人間であるならば。

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