差別と雑談

テキスト

最近、SNSで知り合いが「マイノリティの人への配慮が必要なのもわかるんだけど、その前にやっぱ、多数派の人が普通に暮らせていないと…」というような言葉を書いていてびっくりした。
少し前に人と雑談をしていた時に同じような言葉を聞いていて、どちらの人も割と気を許せる相手だと認識していたので、なおさら。
「差別はたいてい悪意のない人がする」という言葉を思い出す。

その人がどういう文脈でどういう意図で言ったのか「必要なのもわかるんだけど」とは何のことなのかは解らない。ただ、今の日本のありようを鑑みたら「マイノリティより前に多数派を」というのはだいぶ慎重さが必要な言葉じゃないだろうか。

私なら、踏み込んだ話をするつもりがない場合は、こういうことは言わないようにしているけど、人によっては「踏み込んだ話をしないなら嫌悪感を話しても大丈夫」と思うのかもしれない。

ただ、差別や加害の危うさがある言葉って、自分が加害者、あるいはその可能性がある、というで自覚があったら言えないと思うのだ。「私は加害者なんで」とあえて言う人は少ない。

それだけに、言わないこと自体が、加害の疑念を生むことにもなってしまうわけで、私自身が攻撃されたわけではないのに、この日は1日、なんだかすごくモヤモヤ、グッタリしてしまった。
相手への落胆もあるし、きちんと反論できなかった自分へのうんざり感でもあるんだろう。

これは前に書いた、差別を考える時に知っておいてよかった豆知識です。
差別心は、個人の善悪ではなくて脳の仕組みなんだとわかったら「私は悪いやつなのかも!」と思わなくて済むようになった…と言う話。

差別について役に立った考え方|Tokin『コミックルポ 解離性障害、なんです』発売中
相模原のやまゆり園での殺傷事件から今年で7年になります。 何を書こう、と思ったんですが、最近、差別について向き合いやすくなった考え方があるので、描いてみることにしました。 かなりぬるい&大雑把な話ですが、大事なことかなと思っています。 酷い…
差別について思う事。最近、自分と違う考え方や属性を持つ人のことを「認めない」とか「逆差別だ」という声をよく耳にします。私は「酷い」「差別許すまじ」と思いますが、差別心自体は私にもたくさんあると思う…ので… 私が、知った&気づいたら楽になったことを書きます。その1「差別心はある」。これはでかい!自分の知らない人、わからないものは誰だって不安だし、怖い。仕方ない!でも、差別心を持つこと(猫を疑いの目で見ている犬のイラスト)と差別をすること(猫に吠えている犬のイラスト)は違う。 でも、差別心でもなんでも、不安なものは不安だ。(犬のイラスト。「猫が超増えたらどうしよう」「噛みついてくるかも」と怯えている)そこで役に立つのが、歴史とか勉強。それが出来るのが人間のすごいところよ。(「私は犬ですが」と言っている犬のイラスト)本人と話せたらベストかもなんだが、時と場合かなとも思う…
その2「差別心がある人=悪人ではない!」他人から「それは差別ですよ」と指摘されると「何それ?私が間違えてるとか言いたいわけ?」と思ってしまうことは多いけど、咄嗟にそういう気持ちになる、心理の仕組みっていうのがあるんだって。怒って、その後で考えたり向き合って、理解や需要につながる…みたいな。 だから、その怒りとか嫌な気持ちに身を任せずに「今この反応が稼働したなー」と思うと少し楽になるかも。(「私が悪いってことではない」と考えている犬のイラスト)この気持ちの正体は何かな、不安?心配?偏見?とか、正体が少しでもわかれば、次が見える。 以上です!でも、個人の差別心と社会の差別は違う問題なのでアレですが。ひとつの安心な関係(傘の中に入っている犬と猫のイラスト)が、たくさんになっていったらいいと思うんだよね〜!(たくさんの傘の中に、犬や猫や鳥などたくさんの動物が入っているイラスト)

喧嘩にならず相手を責めず、しかしきちんと意見を言うにはどうしたらいいのか、ずっと考えているけど、いまひとつ、難しい。
すぐに答えが出るわけでも、完全な正解があるわけでもない。自分で悩むのが大事だとも思う。けど、すでに傷ついてる人がいっぱいいる事や、私も傷つける側になる事を思うと、開き直る気にもなりづらい。

「相手に課題があり、私が問題を指摘する」というのではなくて、相手も私も問題の渦中の人なんだと捉える必要があるのだと思う。一緒に考えたい。

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