
最近、SNSで知り合いが「マイノリティの人への配慮が必要なのもわかるんだけど、その前にやっぱ、多数派の人が普通に暮らせていないと…」というような言葉を書いていてびっくりした。
少し前に人と雑談をしていた時に同じような言葉を聞いていて、どちらの人も割と気を許せる相手だと認識していたので、なおさら。
「差別はたいてい悪意のない人がする」という言葉を思い出す。
その人がどういう文脈でどういう意図で言ったのか「必要なのもわかるんだけど」とは何のことなのかは解らない。ただ、今の日本のありようを鑑みたら「マイノリティより前に多数派を」というのはだいぶ慎重さが必要な言葉じゃないだろうか。
私なら、踏み込んだ話をするつもりがない場合は、こういうことは言わないようにしているけど、人によっては「踏み込んだ話をしないなら嫌悪感を話しても大丈夫」と思うのかもしれない。
ただ、差別や加害の危うさがある言葉って、自分が加害者、あるいはその可能性がある、というで自覚があったら言えないと思うのだ。「私は加害者なんで」とあえて言う人は少ない。
それだけに、言わないこと自体が、加害の疑念を生むことにもなってしまうわけで、私自身が攻撃されたわけではないのに、この日は1日、なんだかすごくモヤモヤ、グッタリしてしまった。
相手への落胆もあるし、きちんと反論できなかった自分へのうんざり感でもあるんだろう。
これは前に書いた、差別を考える時に知っておいてよかった豆知識です。
差別心は、個人の善悪ではなくて脳の仕組みなんだとわかったら「私は悪いやつなのかも!」と思わなくて済むようになった…と言う話。



喧嘩にならず相手を責めず、しかしきちんと意見を言うにはどうしたらいいのか、ずっと考えているけど、いまひとつ、難しい。
すぐに答えが出るわけでも、完全な正解があるわけでもない。自分で悩むのが大事だとも思う。けど、すでに傷ついてる人がいっぱいいる事や、私も傷つける側になる事を思うと、開き直る気にもなりづらい。
「相手に課題があり、私が問題を指摘する」というのではなくて、相手も私も問題の渦中の人なんだと捉える必要があるのだと思う。一緒に考えたい。


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