
9月9日
AIとか進歩とか可能性とか話しながら、雨が降っただけで洪水になり、年がら年中山火事は起き、戦争は止むことがなく、そのためにまた資源をドカドカ使って、すごい、なんか、破滅へ向かうランナーズハイみたいだ。
依存症のサイクルと重なるものも感じる。“祭りのあと”が恐怖だから祭りをやめられない。
テキストを書きました
「社会問題」というくくりで話そうとするとポカンとしてしまいます。が、話しかける相手と私の間から生まれ、進んでいくのが「会話」なのだと思ったらなんか気が楽になりました。
というハナシです。

9月8日
人を見ていると、物語の真ん中に自分を据える人と、外側から見る人がいるのだなあ、とよく思う。
「〇〇を眺める“私”」か「私が見る〇〇」か。
性格なのかな。そうするように心がけてる人というのもいるだろうな。
以前、極端に後者に寄った人に会ったことがある。主張がないと言う意味での「自分がない」って感じじゃなくて、その人の世界の中に、その人自身がいないふうだった。
私が「そういう感じ方もあるのかあ」とか言うたびに「だってそうでしょ。私個人の話をしてるんじゃないよ。」と当然の事実のように言われて、話すのが難しかった。
そんな感じなので、はたから見たらめちゃくちゃ主張の強い人だったんだけど、自分自身の話をしないと言う意味で、本人は自分自身を“謙虚でひかえめ”と思っているようで、なんというか「人間って複雑なんだな…」と思った。
人の性格の基本的なところはこの、物語における自分の位置なんだろうと思う。
見つめる私と、見つめられる私の比重。意識的にコントロールしている人も多いだろうな。
9月7日
二年前に作ったフリペを見たら今と全く同じことが書かれていて目を見張ってしまった。ここからほぼ変わっていないのに、よく二年間生きてきた。


さらに前のものには「眠れなさすぎて寿命が縮みそう」と書いてあった。多分もうだいぶ縮んでると思う。
アニメ「天幕のジャードゥーガル」

そのすごい評判は耳に入っていたけど、想像以上にすごかった。テンポも図もキャラデザも全部すごい。全部いい。あまりの表現の素晴らしさに「良いものを見せてくださってありがとうございます」…という気持ちになり、一気見してしまった。
「もう世の中は腐ってる」とか毎日思っているけど、キラキラしたいろんなものがたくさんあるから、私の魂は全然腐らない。腐れない。腐ってる時間がない。
いろんな人が作った色んなものに、毎日命をもらっている。ふぁ〜〜〜〜〜〜〜、ありがたいよ。
9月6日
メルカリを見ていたら「すっごく刺繍がかわいいワンピースです!かなり珍しいと思います!」という文言の元、刺繍をしてある部分やそのアップ画像だけで、ワンピースの写真を載せていない人がいた。
惜しい。ワンピースの写真があった方が売れると思う。
SNSの信頼
Xに書いた高市批判がすごい伸びていてギョッとする。
本当に特別感も尖った要素も何もないポストだったので、たぶんアルゴリズムが「このポスト伸びてまっせ」とあちこちに表示してなんとなくそうなったんだろう。
高市さんを支持していると思しき人たちから、鬼のようなリプが来る。
彼らの意見は概ね「“オールドメディア”や“マスコミ”は頼りない。恣意的な報道ばかりする。だから本人からの声が信頼できる」というもの。恣意的に操作しうるかどうかでいえば、権力者のセルフプロデュースと世論操作もよっぽどだと思うが、それはそれとして、「…だからXの方が信頼できる」という、その、Xへの絶対的な信頼(?)は何なんだろうか。自分が慣れ親しんだ場だから安心なのかな。
Xはもう、その信憑性を諦められて久しいはずだけど、なんだかんだ、ユーザー数はダントツのままだ。
いっときは、このまま人が減ってゆくのだろうと思われていたのに、政情の悪化や、それに伴ったデモ等で完全に息を吹き返したのだなと感じた。
「あんないかがわしい場に、総理がグダグダ書いてんじゃね〜よ!」と思ってるけど、いつのまにかその“グダグダ”に、批判や質問のリプを送っている(おそらくは反高市派の)人も増えている。
このようにして高市氏はしれっと自分のペースに人を巻き込んできたんだろう。
万単位でいいねがついた自分のツイート下に、共感と罵りが躍る。公開プロレスのリングが作られるのを見ているようだ。
口汚い言葉と映え政治。だらだらしゃべる首相とヘイトとカウンターとデモ情報。プラットフォーマーの煽りで燃え盛るバトル。
9月5日
コーネリアスのアルバム、ちょっともう無理ですと言いたくなるほど良い。聞いてると嬉しくて落ち着かなくなるので聞けない。大好きが増えるのは、うれしーうれしー。ありがたい。ウキウキ踊っちゃうよ。
アニメ「違国日記」
なんとなく途中で見るのをやめてたのをもう一回最後まで見た。
こんな繊細な感情を拾い上げて、作品にできるってすごいな。透明なのに深くて、深いのにめんどくささはなくて。心がふるふると震える。すばらしいな。
9月4日
日々少しずつ掃除をしている。段ボールひと箱と、紙袋ふたつ分あった「いずれメルカリに出したり、寄付したりするものの箱」がようやく空になった!!
あまりにも長い道のりだった。グッズ買取屋さん、寄付受付ボックスさん、ありがとう。
手書きは…
「にじ屋」の機関誌を読む。
手書きの絵日記があまりに良くて「ガーン!!」と衝撃を受けた!やっぱり手書きだな〜〜〜。

先日、ネットがめちゃくちゃで嫌になるという話をして、なかば独り言のつもりで「なんかよくわからないけどやっぱフリペ作るか」と言ったらその場にいた人から「おお〜〜!!」と拍手をされた。私は簡単に調子に乗るタイプなので「わっ♡褒められてる♡やったるで♡」という気持ちになり、帰ってから、引き出しにしまっていたフリペをゴソゴソ取り出して読む。
まるまる二年間、何も動かなかったことなど、まるでなかったかのように、一昨年の続きの32号を、作ろうかな。

9月3日
電池が切れたように寝てしまった。
双極性障害、鬱になると「なんで“躁”のときに気づかないのか!」といつも思うけど、私の躁は「元気が出てきた!がんばるぞ〜」という程度で、爆裂ハイパー無敵状態になったりするタイプではないので、普通の人の“機嫌がいい”というのと、何が違うのかわからない。
突然減ってしまった自分の容量により、方々に「恐れ入ります」「恐縮です」「申し訳ありません」というメールをする。「すみません」と書いてから「『すみません』は軽すぎると思われるかもしれない」と思って「いや、そんな瑣末なことはいいからちゃんと早く返事を返しなよ」と我に返り「何を書けばいいのか…」と迷走する。
「『伝える言葉』プラス」大江健三郎
行き詰まると、頓服のように読む大江健三郎…。
「知る」だけではなく「わかる」ことで初めてそれは知識になっていく…というようなことが書いてあって、自分が最近イライラしてしまうのはまさにそれかもなあと思った。
軽薄な、知ったかぶりみたいな言葉が、真実になってしまう感じ。その先は詮索しなくても良い感じ。 数字やデータからこぼれるものが切り捨てられる感じ。そういうことに、息が詰まっている気がする。
9月2日
人に会う。美味しいご飯をいただく。
話す相手がいるのはありがたい。不安なことばかりだが、「不安だな」と言えると多少安心する。するんだけど、1人になると、安心しただけで別に解決はしていないという現実にまた気がついて、ニュースを見て途方に暮れて、あんまり見ない方がいいかと思ったり、そわそわしている。
暗澹たる気持ちになりつつ、川沿いを、ノロノロと自転車に乗って帰る。
9月1日
ロリポおじさん、お元気ですか
私が使っているこのレンタルサーバーのロリポップ、つまりGMOロリポが、Palantirに近い構想を練っているという話。が、結構こたえている。
自分のサイトを創作と発信の牙城にするつもり満々だったのに、GMOがこーゆーことになって、なんかぽっきりと心が折れ、途方に暮れてしまったのだ。
サイトを作っても“レンタル”である以上は、SNSと同じように、運営側のありかたに沿ったものになるのは、まあ、当然なんだけど、うう…。
長らくフリペを作ってきて、楽しかった一方、ネックになることも見えてきたので「アナログでも現場至上主義でもない、発信基地がほしいなあ」とネットで色々考えてきたんだけど、私が試行錯誤しているうちに、あまりにも早いスピードでネットは、資本家とフェイクとAIに汚染されてしまった。
楽天にせよGMOにせよ、まさかこんなダイレクトに武器とか戦争とかを理由に、日常に必須なサービスから離れる必要が出るなんて想像しなかったよー。悲しいな。


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