朦朧日記 – 2026年5月③

イラスト。花冠をつけて踊っている二人の人 朦朧日記

5月22日

この話、昨日知って、なんというか、気が遠くなってしまった。

宮古島、石垣島、与那国島をはじめとする先島諸島では、台湾有事を前提として島民12万人を九州、山口に避難させるという全島避難計画が進められています。
(…)島に残りたいと言っても、避難は強制ではないが、ライフラインが止められるというのが市の説明です。


それでも抵抗を叫ばないといけないのだけど、いや、なんかもう。

政治がメチャクチャすぎて、生活の中心をどこに置いたらいいのかよくわからない。
自分のやりたいことははっきりしてきたし、もうはっきりしているのに、この状況下で「やりたいことに一直線」なんてもう、とても考えられない。
私自身の未来について考えるならなおさら、私自身のことは今はとりあえず置いておいて、抵抗運動をしなければいけないだろう。

何ヶ月かあとの希望はあるが、その“何ヶ月か”の間に何があるのかを思うと、“何ヶ月かあと”なんて存在するんだろうか?と思わずにいられない。生活が、希望や人生設計ではなく、ただの仮定の状態で回っている気がする。

どの距離から何を見て何をするのか。視点やスケールに戸惑ったまま、毎日が進む。迷いと憤りは積み重なるばかりだが、回収されないしその兆しもない。

5月21日

お金と数字ばっかりが正義ではない世界にいきたいな。数字は生活について回るものだけど、数字のために生きたくないよ。

推し活考

ラジオで推し活の話をしてるけど、経済効果と個人の幸福度がほとんど直結してるのはなんか怖いな。
バブル期のような景気の良い消費ではなくて、必ずしも豊かではない状態での、献身的な消費が市場化してるというのが、なんか歪な感じ。資本主義を推している。

コロナ禍から加速化したことを思うと、不安定な中でなにかに身を委ねたい気持ちと、SNSやネットからの過剰な情報供給があわさって“供給に身を委ねる”みたいな快楽が醸造されたのかな。

その先に“愛国”があると思うとなんか、わかる気がする。サナ活もむべなるかな。
(ていうか結局そんなもの実在したんだろうか?おそらく高市氏がお金で作ったムーブメントなんだろうが)

5月20日

ここ一ヶ月くらい、まるでシフト制のように次から次へと不調が湧いて、と、今ここまで文字にしてみて「もしかして、加齢?」と思ってしまったので、これ以上書くのをやめます。

脱プラ

ナフサ不足を「これを機会にプラ過剰な生活を見直す」という方向に向くのは悪手な気がする。
脱プラ生活は私もメチャクチャ大事だと思うけど、それはそれ、これはこれ…。
ナフサ不足なんてほぼ人災なんだから、問題点を突き詰めて責めてこそなんぼでは。必須なものが無くなっているという問題点に集中すべきかなと思う。

ていうか、なんというか、 “(プラ仕様を見直す)良いきっかけにもなった”を不必要に拡張して“良かった”にするのはがさ、日本のメディアじゃん…。
おもねってはダメダメ…

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