朦朧日記 – 2026年3月③

3人の人のイラスト。キャップを持ったパーマヘアの子、つばの広い帽子を被った目の大きい子。お花のついたベレー帽を被った子。 朦朧日記
3人の人のイラスト。キャップを持ったパーマヘアの子、つばの広い帽子を被った目の大きい子。お花のついたベレー帽を被った子。

3月27日

二匹のいたちが細い筒の中で追いかけっこをしている動画を見て、目を見開いてしまった。延々と回っていて、本当にイタチごっこだった。本物のイタチだから“ごっこ”ではない。そう、あれは“イタチ”だった。(そりゃそうだよ)

書棚に自著

今話題の、神保町の三省堂さんにて…。

書店の書棚の写真。 解離性障害の本の中に、トキン著「解離性障害のちぐはぐな日々」が並んでいる。


解離本の立派なラインナップに拙著を加えて頂けていてドキドキだった。ありがとうございます!!

日本が泥舟

「はあ?」と言いたくなるような政治の展開が多くて毎日驚いている。解離より解離っぽい現実だ。
自衛官が刃物を持って中国大使館に入ったというとんでもないニュースが起きてすら、メディアはさほど反応せず、首相も防衛大臣もSNSに全然無関係なポストをしてるおり、ようやく出たコメントが「遺憾です」などとまるで他人事のようで、なんか変な夢を見ているようだった。

「国は豊かになる一方で格差がひろがり…」という不快な未来は想像してたけど、こんな全体的にめちゃくちゃになる未来は想像しなかったな。くだらなくて呆然としてしまう。
高市さんが就任してから、劣化のレベルがケタ違いだ。気持ちが削られるどころか国全体でジェンガをやってるような気分。
ここまでみんな泥舟大航海状態なら、保守でもリベラルでも何を支持してても、高市さんを辞めさせることで一致団結すべきでは?と思ってしまう。冷笑してる人らも愛国保守な人らも、不安からいきり立っているだけで誰も安心な気持ちではないだろう。

この世界でいまハッピーなのは、わがままおじさんトランプただ一人ではないかという気がするが、なんなら彼もイライラするばかりで決してハッピーではなさそう。

社会運動と自サイト

自分が支持している政党がアンケートにグーグルフォームを使っていて「政党が、それは…」という気持ちになってしまった。民間ならいざ知らず…。

自分でサイト作ってみて思ったけど、何か運動を興す人はとりあえず自分でホームページ作った方がいいと思う。
SNSのアルゴリズムを把握して拡散力を高めるのも作戦ではあるけど、それをやってると延々とプラットフォームの仕組みとのイタチごっこになっていく。あれらは権力と簡単に接続する。
安全とか安心という言葉と共に、倫理や公共と資本が接続されていくことが不快でたまらない。

3月26日

事務連絡の用事がありグループチャットに入る。メンバー数15名というのを見て「結構いるんだなあ」 と思っていたが、今日、よく見たら150名だった。

漫画家と喜び

漫画を書いて、人にプレゼントする。こっちが恐縮するほど大喜びされて私も大喜びであった。やっほう。

「文字が多い漫画は嫌い」というおじいさんが、私の漫画(文字が少ない)を見て「いいねえ!これが“まんが”だよ!」と仰られて、笑ってしまった。評価でかいな〜〜〜!!

その後も夕方までいろんな人といろんな話をする。雨風強い中なのに、なんかとても良い気持ちだった。
人と話すと毎回、こんな視点は知らなかったなあ!と目が覚める。心のモヤが解けて初めて、モヤがかかっていたのだと気がつく。ありがたいな。

3月25日

反戦反核はもちろんだけど、反トランプ反自民だよ、実際…。
なんであのままなの…。
我々の生活の主権は我々にあるべきで、わがまま政治家の気まぐれレシピに振り回されるべきではない…。

逆張り・冷笑・わたし

メンタルがアレなひと界隈でよく「具合悪かった時間は年をとってない」というのを(ネタとして)よく聞くんだけど、実際わたしも、なんとなく何年か分、普通の人より幼いというか、ものを知らないと感じる。

だから、知識のなさから冷笑になるような人を私は笑えないなといつも感じる。ミソジニーをこじらせた人にも同じような“大人をこじらせた人”としてシンパシーを感じてしまう。共感は全くしないけど、私は本質的にはそっちだと思う。
その自分をどう克服するか!と奮起する自分がいる一方で、逆張りをしたい自分もいて、でも、まあ、どうだろ、みんなそんな感じなのかな。

以前「ネトウヨは社会に放置されてきた犠牲者だ。彼らとどう向き合うか考える責任がある」というような事が書かれた本を読んで、なんとなく腑に落ちてしまった。いまの政況を支持する人にも同じ“犠牲者感”を感じることがある。ネトウヨでもそうでなくても、今上がる声の一部に、被害ゆけにそこに居ざるを得ないような叫びを強く感じる。悲しくなる。
おそらく自分もまた、被害者であり、そして、加害者でもある。意識していないと、さらなる加害を加えるだろうとも思う。

私が社会運動などをする理由の一部はおそらく贖罪だ。
自分の障害の話をするのも、被害やつらさを訴えようという気はあまりなくて、どちらかというと加害側に立たないためにやっている気がする。力強く声を上げる当事者という感覚も、健常者に理解を促している意識も実はあまりなくて、人が加害者になり得る可能性をなるべく減らしたい、というのがおそらくモチベーションとして大きい。

しかし、すぐ自分を客観視しちゃって省みるのは、いかにもアダルトチルドレン的であり、“The 解離の人”って感じだ。私はいつも、私を見ている人であり、私という舞台の主役ではない。

自分だってつらい被害者なんだ!と思うほうが健康的だと思う。

でもまあ〜、役に立ってるからいいのかな。人の心というのはうまくできているな。

3月24日

「色々考えた末、思い切って反戦デモに参加してみた」というエッセイ漫画にSNSで“賛否両論”があって驚いた。
“否”する意味がよくわからなかったのだけど、その人たちの意見を見てみたら、ざっくり言うと「政治のことを詳しく知らないのに」「勉強もせずに」デモに参加することを嘲笑するような内容だった。(もちろん肯定的な意見もたくさんあった)

この批判に限らず、最近よく考えてしまうのは、SNSや作品に書かれていない事を想像しない人が結構いるということだ。たったその数ページで、その人がこれまでの人生でどの程度、歴史を知ろうとしたか、勉強したかどうか、考えたかどうかなんて、わかるはずがないのに。

この、書かれていない部分を無視するという傾向は、SNSでリアルタイムに発信するということが日常になるにつれてどんどん加速してきたように感じる。

考えたことや行動すべてを公にするわけないのだから「これについて書くならあれも」とか「〇〇について考えてない」とかはあまりにも乱暴だ。人には、公にしない、SNSにも作品にも書かれていない部分の生活があることを想像してほしい。且つ、そこでの”想像”は、憶測して決めつけることとも違う。結論や回答は発言主の中にしかないんだから、他者が答えに辿り着けるわけがないのだ。

他者の感情や行動に正解を探そうとしてしまうのはなぜなんだろう。おそらく彼ら──いや、私たちは、答えのない落ち着かなさに耐えられなくなっているのだと思う。
拙速な言葉の応酬が日常になり、誰より早く正解に辿り着くことが私たちを、いいねや称賛やビュー数という気持ちの良い幻覚に誘う。その中毒性にやられている。早く、多く、その幻覚をにたどり着きたくてたまらない。

発信することより受信することを、広く浅い受信ではなく狭くても深い思慮を、思慮の根拠集めより自分の中での熟考する力を、育てる必要があるんじゃないだろうか。

…と、ここまで書いておいてアレなんだけど、戦争に関しては少し事情が違うかなと言う気もする。
だって、わかりやすく直接的に生活や人間やその命に関わることだから。単純な恐怖感がある。だから正直なところ私は「戦争の話をしたくない」という人のことをあまり責められない。だって、怖いじゃん。何もないって思いたいし、自分の国が加担するって思いたくない。反射的に「いやだ」と思ってしまう感じ、わからなくもない。

ただ、それは反戦の声を上げる人に向けるものではなく、反戦を叫ばせている根本に言うべきなんだよね。
戦争反対って言わないといけないのは戦争があるからで、戦争がなければ言わなくていいんだよ。

3月23日

漫画を描くぞ。

描き途中のまんがの写真

テレビ「NHK BS: ゲームプラネット” 〜超巨大市場を戦う者たち」

市場規模26兆円超のゲーム市場。日本メーカーが世界のライバルと苛烈な競争を繰り広げる姿に密着。カプコンが「ストリートファイター」新作で描く新たな世界戦略とは?

NHK ONE「“ゲームプラネット” 〜超巨大市場を戦う者たち〜」

コンピューターゲームの最前線とそのマーケットの話。(といっても2023年の番組の再放送なんだけど)
ゲームには全然あかるくないので、こんなに進化していることを知らなくてびっくりした。ほとんど映画のようだ。

紹介していたのはストリートファイター6だったんだけど、目が見えない人もゲームができるような音の工夫がされているそう。紹介されていたスト6の世界大会では全盲の人も出場していてびっくりしてしまった。
全盲なのに格ゲーが出来るというのは!かなり衝撃!

本「COCOON」今日マチ子

今日読んだ本ではないのですが…。
SNSで「優しいもの、楽しいものだけが好き、戦争とか政治の話はSNSで見たくない」というのを見ました。今こんな状況でそこから目を逸らしてどうするよ…と思う反面、ただの推測ですが、ああいう声の中には一定数、大きな声や攻撃的なアプローチに拒否感がある人いそうな気がするんですよね。
というわけで、この漫画を紹介したいと思いました。

COCOON | 秋田書店
シマいちばんの女学校に通う主人公・サンらは、クラスメイトとともに学徒隊として戦地に赴く。戦況の悪化とともに、ひとり、またひとりと仲間を喪っていく中、世界の凄惨さと自己の少女性との狭間でサンは……。戦後65年。新世代の叙情作家が挑み描いた衝撃...

シマいちばんの女学校に通う主人公・サンらは、クラスメイトとともに学徒隊として戦地に赴く。戦況の悪化とともに、ひとり、またひとりと仲間を喪っていく中、世界の凄惨さと自己の少女性との狭間でサンは……。
戦後65年。新世代の叙情作家が挑み描いた衝撃の長編傑作。

可愛さとファンタジックさ、少女漫画的な柔らかさがありつつ、戦争の辛辣さが刺さる傑作です。
初めて読んだ時「こんな表現があるのか」と読後、しばらくぼんやりしてしまいました。

戦争はお涙頂戴のファンタジーではないけど、ファンタジー表現だからできる伝え方やリアリティがあると思います。

3月22日

自分の特権性に自覚的でいると怒ることが減っていいな。 個人攻撃でなのかカテゴリによる軋轢なのかがわかると、すんなり謝ったり反省出来てもやもやしなくなる気がする。

反戦を叫ぶ背景

反戦デモを極端に嫌悪する人の気持ちがよくわからなかった。
今の政治に対して危機感がないと「ありえない杞憂で騒いでる=無駄、迷惑」って感じに見えるのかなあ、とか思っていたんだけどある時、「戦争反対を叫んでいる人は戦争を望んでいる。反戦を訴える政党を支持している人が、その政党を伸ばしたいがために、ありもしない戦争の危機を煽っている」という論を見て頭を抱えてしまった。なんという想像力だ。

理屈が全然わからないなとと思っていたので、先述のロジックには納得するものの、どこから訂正すればいいんだろう、というか、ううむ。
ここでぶつぶついうことはできるが、こういう人を実際目の前にしたら、何かを言い返せる気がしない。驚いて黙ってしまう気がする。

本「化け猫あんずちゃん」いましろたかし

『完本 化け猫あんずちゃん』(いましろ たかし) 製品詳細 講談社
アニメ映画で世界を席巻! いましろたかし『化け猫あんずちゃん』、2007年にコミックボンボンで連載した「無印版」と、2024年にコミックDAYSで連載した続編「風雲編」を一冊にまとめた「完本」、待望のリリース! 作者描き下ろしのショート漫画...

はっきり言って最高でした。あんずちゃんのビジュアルと飄々とした雰囲気のギャップがたまらないし、大きな事件がなんとなく進んでいく、小さな事件が大きく心に響く。そういう微妙な歪さに、うんうん、生活って、そうだよねと胸に沁みます。

キャラクター漫画のようでありながら、内容はしっかりヒューマンドラマだなと思います…。素晴らしいよ。

3月21日

福士悦子さんの個展「リスの部屋」を見に日暮里のギャラリーへ。ほこほこ可愛いリスと齧歯目ちゃんたち…。

午後、人の集まるところへ行く。昔よく使っていた道を通っていく。感傷的な気分でバスに乗る。

ウキウキしたりホッとしたりとても良い日だった。私の周りは本当に素敵な人が多くてありがたい。
肩の力が抜けるような場。それを作る人。その真摯さに、一度ゆるんだ背筋も伸びるぜ。ありがたいことだぜ。

これはイケてる私の最高アクセサリーです。

青い鳥のブローチに「誰も殺すな」というアクリルチャームがついている

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