朦朧日記 – 2025年10月③

朦朧日記

10月20日

気がつくとぼーっとしてたり妙に緊張したりで落ち着かない。
落ち着くような言葉をとなえる、お香を炊いたり部屋を掃除したり、落ち着くために大忙しである。

目線

いろんな人に会ったり、その背景を考えるのって、自分のためでもあるのかもしれない。相手の目線を通じて自分を見る。自分がどう見えるのかを少し知る。

相手の目線が全部わかるわけではないけど、性別、障害、国籍、社会的立場…とかから「〇〇の人から××の人はこう見えることが多い」とかは、知ることができる。
もちろんそんな知識は参考程度の話。必須なのは「何はともあれ最終的にはちゃんとケアしますよ」という信頼なのだと思う。
思い出してみると、長く付き合いが続いている人とは、やはりそういう「まあ結局なんとかなる」みたいな土台がある。

とはいえ基本的には、人と関わることは、いくらか傷つけあう可能性を持っているんだろう。
「だからこそ覚悟を持つ」…とか、まー、そういうヒロイックなことを言おーとすれば言えるけど、傷は傷で、痛いからなあ。まー、難しいね。

生きのばし

点滅社のかた、具合が悪くてずっと大変そうだけど、私自身がまあ、今こんな感じだというのもあり、わかりすぎてわかりすぎて涙が出た。

精いっぱいの反逆を|点滅社
正直に白状するが、社会のスピードがあまりにも速すぎておれはもう、数年前からずっとついていけていない 置いてけぼりにされ続けている この尋常ではない速度についていけているひとは、果たしてこの世にいるのだろうか おれはずっと「いま考えてるからも...

社会のスピードがあまりにも速すぎておれはもう、数年前からずっとついていけていない 置いてけぼりにされ続けている 

ずっと「いま考えてるからもうちょっとだけ待ってくれ」と懇願しているのに、「こぼれ落ちたくないのならはやく答えを出せ」と、社会からずっとずっと、そういう風に言われ続けている気がする

世界中が謎のパンデミックに襲われた時、小沢健二がひっそりと(?)『泣いちゃう』という曲を公開していて、それにボロ泣きしたのを思い出した。 つらいとか泣きたいとか疲れたとか、言えない感じがする。『泣いちゃう』を聞いた時「泣いて放り出したい」という気持ちが自分の中にあるのことに気がついてマジで泣いてしまった。

世界中のマイペースな皆さん、ついていけなくて泣きたい皆さん、なんとかやってこうな。
“手を繋ぐ”とか連帯とか、そういうコミュニケーションスキルが、私にはあんまりないのですが、まあ、まあ。目配せとかしよう。チラチラと、チラチラとね。

今日のおんがく

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