
9月30日
不眠が強いと昼間寝てしまうので昼寝で午前中が終わってしまい、眠剤を飲めば朦朧として午前中が終わってしまい、強めの眠剤を飲めば普通に寝るだけで午前中が終わり、ああ“午前中”?そんなものがあった時もあったね、懐かしいな…。
怖くないオカルト番組
スキンウォーカー牧場の超常現象というオカルト番組をたまに見ています。

基本的に、
怪しいことが起こる→調査→失敗or成功→新事実発覚→“何かがある”ということが解る→(続)
という展開の繰り返しで、一向に“何か”が何なのかわからないんですが、いいですよ、誰も憎まず陰謀にも駆られないオカルトというのは…。終わらないファンタジーですから。
しかしこの日見た回では、怪奇現象に襲われた牛が病気になってかわいそうでした。もうすでに2頭の牛が怪奇現象の被害に遭っているので、まず牛を全員避難させてあげて欲しい。
自分の顔
自分が出たイベントのアーカイブを見たのですが、自分が映った瞬間、あまりにも垂れ目でびっくりしてしまった。間違いなく自分なのに「いや、ここまで垂れ目なわけなくない?」と思って目を凝らす。
ワルモン

日本人はすぐこうやって、何でもキャラを作りやがってほんとうにありがとうございます。
くだらない。大好きだよ。
9月29日
どういう流れだったか忘れたけど、昔、友達が「今、私たちは困らないことに慣れすぎてると思うよ。回転寿司とかやばいよね!食べ物が回ってるんだもん、ブロイラーまんまじゃん」と言っていたのを、回転寿司の前を通るたびに思い出す。でも回転寿司は好きです。
「障害があるから、」と言いたくなる感じ
Eテレで、事件後の津久井やまゆり園を追ったドキュメンタリー「津久井やまゆり園 “再生”への模索」を見る。
9年前、19名の命が奪われ、職員を含む26名が重軽傷を負う事件が起きた障害者施設・津久井やまゆり園。
ハートネットTV 津久井やまゆり園 “再生”への模索
2021年に運営を再開した園内では、会話でのコミュニケーションが困難な利用者であっても、表情や行動を手掛かりに思いを受け止め、望む暮らしにつなげる「意思決定支援」の取り組みを進めている。言葉のない利用者の「思い」をどうやって理解し、叶えてゆくか。再生に向けて模索する現場を記録した。
自分がいつどのように過ごすか、健常者であれば権利とすら考えないような権利を、障害がある人は持てておらず、その状態すら誰も意識してなかったりする。
職員の方の「(事件が起こる前は、施設の利用者さんたちに)意思があるかどうかを考えた事がなかった」という言葉が重かった…けど、同じ気持ちの人は多いはずだ。
これを現役の職員として、カメラの前で言う覚悟よ。
自分自身に障害があると、障害の話を知る時いつも、被差別側であることの怖さと、自分の中の差別心との間で気持ちがグラグラする。そしていつも心の片隅でつぶやくのだ。「でも私はそんなに重度じゃないし」と。
攻撃される側ではない、私は弱者ではない、と思いたいんだろう。ナチュラルな差別心。ここと戦わないとなぁといつも思う。
頑張らない
寝そべり族にせよ、こういう“やらない”カウンター、私は大好きだよ…。もっとみんな積極的にダラダラしよう!
同じテーマについて「日本同様、コスパ、タイパ重視で努力を無駄と思う若者…」みたいな論調の記事も見たのだけど、努力が報われる社会じゃなくなっちゃったんなら、そりゃネズミになりたくもなるよね…。
いま、頑張った先で求められるスキルはおそらく“もっと頑張ること”だろう。
「頑張る」以外の選択肢を取る、抵抗!
🐁

9月28日
今日のおやつは薄皮つぶあんパンでした。
薄皮パンってみんな”薄皮パン”の部分が同じ味だから、着せ替え人形みたいだなと思う。着せ替え人形のパン?パンの着せ替え人形?(何言ってんの?)
漫画を描きました
どこにアップするか悩んでいろんなところに載せている。 でも何か、もっと効率よくマルチポストする方法があるんだよね?知ってる…本当は、知ってる…。

今日のおんがく
9月27日
猫道&てあしくちびるのツーマンライブへ。
真摯さと苛立ちと純真さが流れ込んでくるような、てあしくちびるさんのステージ。猫道さんのパフォーマンスは、切実なのに面白くて、笑っちゃうのに寂しくて、やりきれないのに元気がでる。


猫道さんとはずいぶんご無沙汰。そしてポエトリーリーディング界隈(?)の人たちと話すのもすごい久しぶりで、なんだか懐かしい空気。終演後の交流も楽しく、演者を通して“人”が、それを囲む“世界”が愛しくなるような時間だった。
最近こんなふうに、久しぶりの場や人に会いに行く機会が多い。
決して、道を引き返すとかじゃない。これまでのものを一旦手放して、新しいものを手にし、それを経て、これまで持ってきたもの、これからに持っていきたいものの持ち方を考え直すようなかんじ。
人間関係の取捨選択とか断捨離という言葉はよく聞くけど、自分から取り戻しにいくということも出来るんだね。
脱SNS運動
終演後の交流会では初めましての人といろいろ話す。
別れ際、つい習慣で「SNS教えてください」とか言いそうになるが、私は会話の中で「メールフォームや掲示板を作り、人をSNSから引き摺り下ろす運動をしている」という話をしてしまったのである。
そんな話をしたのに、アカウントを訊くのもかっこわるい。
「またどっかで会いましょー」などと言ったが、また会うことが…あるのかどうか?
次にこういうことがあったら「サイトに来てください」ってちゃんと言えるようにしよう…。
9月26日
都心に出て打ち合わせ。
一度家にもどるとやる気が減退してしまうので、打ち合わせの後は地元の駅に直帰、喫茶店で制作を始めたんだけど、都心との往復でへとへとになってしまい、大して捗らなかった。
かいちぐサイトを更新
かいちぐホームページにコメントをいただきました。
■解離性障害のエピソード

■Q&A セクシュアリティについて

9月25日
相互扶助論について調べていたら、その提唱者の名前がクロポトキンだと知って「え!トキン?!ご縁じゃん!」と思ったけど何のご縁なのかはわからない。
相手のきもちになって
真夏が暑すぎて、秋に蚊が増えたとニュースで言っていた。
私は虫がとても苦手なんだけど、「虫が怖い」と言うたびに「虫からすりゃ人の方が怖いわ」と思う。
くだらなさに熱意を
以前やった仕事の漫画、改めてみたらあまりにもくだらなくて、すごく良かった。
このくらいのくだらなさを大真面目に保持したい。

9月24日
メンタルケア系のコラムを読んでいたら、問題が多い生活環境のことを「問題要素の中華まん」と書いていて、目から鱗が落ちた。なんてわかりやすい表現なんだ。
関東ローカル
「ダイナミックダイクマ」のリズムってどこまでの人が知ってるんだろう。 当たり前のようにこの間歌ったら「なにそれ?」と言われて驚いた。
東京の人間は「自分たちが見ているものが最もメジャーだろう」と思いこんでいるから、他人から「それはローカルネタでは」と言われる展開に慣れていないのである。
今日のおんがく
人と話していて、邦楽のロックが好きだと言ったら、好きなアーティストを聞かれた。
一瞬「デキシード・ザ・エモンズ!」と即答しそうになったが、「いや、それは通じないか!なんて答えよう?」と焦ってなぜか「怒髪天」と答えた上「あっ、字は『怒髪天をつく』の怒髪天、で…。演歌みたいな?ロックなんですけど」と矢継ぎ早に言ってしまい、自分で言いながら意味不明でちょっと恥ずかしかった。
(怒髪天はかっこいいですよ!恥ずかしいのは私です)
でもこういうのって、目的はふんわり話を続けることだから何て答えてもあんまり関係ないんですよね。

9月23日
パイナップルは、カットされたやつより、頑張って捌く必要のある状態のあれを買った方が絶対にいいです。
美味しいし安いからです。
「俺は異常者だ」
高校の時「普通そんな言い方しなくなーい?w」などと学生らに茶化されるたびに「普通なんか知らん!俺は異常者だ!がはは!黙って異常者の言うことを聞け〜!」と応えていた先生がいて、今でも生きづらさを感じると心の中でそのセリフを叫んで励まされています。
先生。ご活躍は定期的にネット上で拝見させていただいています。ご在職時より熱心に取り組まれていたサブカルアングラ文化人としての活動、ご退職後はより活発化させていらっしゃるのですね。数年前、渋谷のLOFT9に自分が出演した際、LOFT系列の別店舗でのイベントに先生のお名前を発見。お元気でいらっしゃるのだなとほんのりと嬉しくなったものです。
在校時、ご著書を拝読した旨を告げたとき、先生は「なにっ!?あんな本読むんじゃない!」と、さながら「黙ってろ」とでも言わんばかりの勢いでおっしゃっていましたね。先生のあのしゃべり方がいわゆる“オタク喋り”であることは、自分がオタク喋りをするようになって初めて気がつきました。ややっ!参りましたな!
かつて高校生だった私も今は42歳。当時の先生と同じくらいの年になるでしょうか?
不安でいっぱいの毎日ですが、先生の潔い「俺は異常者だ!」の声、そしてその言葉に違わぬ昨今のご活躍を拝見するたびに「ああ、私も先生のように堂々と『普通なんか知らん!』と言えるメンタリティを持った異常者になろうと思…いはしませんが、思わないとも言い切れません。
ともあれ、表向きはしっかりと教諭としてのお仕事をされていた先生が、当時から今に至るまで、サブカル弩アングラの黒い炎をゴリゴリに燃やし続けていらっしゃったと思うと、尊敬の念に堪えません。現在いち社会人として普通に生きるものとしては。
いや普通には生きられてないですが、いや、普通って何ですか?ええいっ、普通なんか知らん!俺は異常者だ!
今日の音楽

のびのびですか、のりのりですか。って良い言葉だな。
9月22日
拙著の感想で「自分の症状と同じで泣いてしまいました」という言葉を頂くことがあるんだけど、掲示板へ頂いた書き込みがまさに、”自分の症状と同じ”で泣いてしまった。

とりわけ「何が目眩で何が動悸で、どこが頭部で何が体なのか、痛い苦しいとはどんな感覚なのか、本当に自分が苦しいのかすらわからない」というのはもう、私が書いたのかと…。
この「違和感はあるけどなんだかわからない」感じというのが本当に、そう、そうそう…。
不さん、コメントなどもたくさん、ありがとうございます。
生きていられてよかった。
今日のおんがく

9月21日
詳細は省きますが、自分が感じていた曖昧な違和感を友達に話したら徐々に正気に戻ってきた。
信念と洗脳は似ている。同じかもしれない。友達から「『大丈夫だと思う』と言ってる時点でヤバい」と言われて、ぎゃー!と言う感じだった。
テキストを書きました。
noteはこっちです。『小さくても強いし大きくても弱いし』
ネットコミュニケーション覚書
このサイトを作っている理由の一つでもあるんだけど、健康な人にとっての、ネット上での交流と、心身に不具合がある人のそれとは性質が全然違うと思う。
寝たきりの人が人と交流できるようになったのも、引きこもってもギリギリ外の様子がわかるのも、田舎に住んでてもライブストリーミングが見られるのもネットが普及したからこそのこと。
もちろん外に出られたらいいけど、それが叶わない状態のことを頑なに考えたい。ネットじゃなくて紙媒体でいいのかもしれない。
現地でアナログな形で触れることが唯一で至高とはあまりおもいたくない。それを正解とするのは、それらに触れられる人の特権だと思う。
でももうソーシャルプラットフォームは金儲けを通り越してプロパガンダになっており、自由さでは完全に終わってるので、どう始めよう?どうします?私は引き続きがんばってここを続けます。
今日のおんがく
フラカン、“そういう気分”の時に聞くと良すぎて爆発してしまうな。
聞きたくなるのは大体、あんまりメンタルがよくない時!ちゃんと顔が前を向けるようになる。自分にとっての薬みたいなものなのかな。心の救急箱に入れておこう。
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