
SNSで数字を取ることから一度離れてみたら、競わない安心が得られるんじゃないかと思ったけど、現状、とくにそうなっていない。むしろ戦わない不安感を感じている。
「戦いたいから」とかっていうより、生きることと戦うことを直結させているからだとおもう。しかも別に私個人が望んでそうしているわけでもない。なんかそんなふうに、思わされている。情報に、環境に、ネットの言説に、政治に。
別に戦いたくないのに。
「戦いたくない」と言うと、「負けるのが怖いだけ」って感じがするけど、そうじゃない。
勝ち負けではなくて、純粋に、”戦いたくない”んだ。私は自分で歩きたいだけで誰かに勝ちたいわけではない。むしろ自分が降りることで競争がやめられるなら負けてもいい。とにかく競争から降りたい。
昔からそういう傾向があって、なるべく人が少ない方向へ向かう癖があった。人が怖いとかじゃなくて、競うこと、競おうとしてくる人が苦手なんだと思う。
ただ、そういう苦手さに、勝とうとしてしまう。
自分が嫌っている「勝ち負けを決めること」「弱さを克服する強さを持つべき」という構図を完全に内面化している。弱いのはダメ、強いのが良い、という構図が叩き込まれてるんだな。
勝ち抜かなくて良い、戦わなくて良い、有意義じゃなくていい、他にはそう言える。でも、それを自分に許すことには不安があるのだ。
どうにかしたくなるけど、もうちょっと待ってみよう。ここで「ええいっ、だからこうしないと!」って雑な答えを自分にぶち込むのも、なんか違う気がするのだ、たぶん…。


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