
SNSを見ていたらたまたま、友達の友達(A)と、別の友達の友達(B)が友達だということがわかった。
私はAさんもBさんも知らないので「だから何」って感じなんだけど、この「あっ!」という気持ちを誰かに言いたくて、ここに書きました。
読んでくれてありがとう。
当たり前なんだけど、友達には私の知らない友達がいて、その友達との時間や世界があるんだなあと思うと、なんか不思議だ。友達の友達であるAさんと、私が友達になったら、その線はどんな形なんだろうと考える。
クロスしてサヨナラの“X”型ではなく、集って共に行く“Y”になるだろうか。
これまでに何人か友達を自死で亡くした。
原因が原因なのでどの記憶もしんどいままなんだけど、とりわけ、1人のことをもう呪いのように考え続けている。その人と私の間に共通の知人がいなかったからだ。
思い出をシェアできる相手がいない以上、私が忘れてしまったら、その人と私の時間はまるで消えてしまう。
あんな風に別れるとは思っていなかったから写真も別に撮ってないし、ガラケーのメールは消えてしまった。誰とも共有していない、私の中にしかないその人との思い出を、時々思い出しては「まだ忘れていない」と安心している。
別に何のことはない、近所のドトールとか漫画喫茶とか、駅で待ち合わせたときの佇まいとか、そーゆーなんともない思い出。それに囚われてもう20年も経ってしまった。もうすぐ、彼が生きていた時間を、彼が死んでからの時間が追い越す。
“ご縁”という言葉がある。
抽象的な言葉だけれど、その抽象的なものは、気持ちとか想いとか─これまた抽象的なものを─しかし着実に、繋ぐ。結びつけ、留めておくことができる。
それは安心にもしがらみにもなるけど、縁を辿った先に人がいるというのは、偶然やたまたまではない意味があるのだと思う。
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