声のありか(SNSに意見を書くこと)

イラスト。バスケットに鳥のようにも仮面のようにも見える何かを持っている人。それを奪おうとする人。その人は何か球体のようなものを持っている。 テキスト
イラスト。バスケットに鳥のようにも仮面のようにも見える何かを持っている人。それを奪おうとする人。その人は何か球体のようなものを持っている。

政治的な問題が狂ったように山積みな昨今。
そういった事についてSNSで言及しないのを「なぜきちんとスタンスを表明しないのか」と批判する意見をしばしば目にします。
しかし逆に考えみれば、なぜSNSで言及することが「きちんとスタンスを表明すること」になるのでしょうか。

SNSで自分の意見を書くことの是非はさておき、私は、書かないことを「何も言及しない」として批判するのは違うように思います。
態度を表明するのも、表明しないのも尊重されるべきではないでしょうか。

実際に無関心だから言及しない人もいるでしょう。しかし、無関心なのか、考え中なのかはSNSの言葉だけではわかりません。同様に、反射的に出てきた雑な言葉なのか、考えた結果の発言なのかだって、わからないのです。

雑で汚いヘイトやデマほど、あっという間に拡散されるから、早急に潰す必要があるというのはわかります。

けれども、怒りを焚きつけるよう作られたリングのうえで、煽られながら口論をすることを当然のように是認することに強い違和感があります。

拙速な言葉は誠実でしょうか。SNSの書き込みは本当に“世論”でしょうか?
なんで民間の、ネットの、営利プラットフォームで、意見表明をすることが公式な“説明”とされるんでしょう。
私は政治家が、SNSで政治的な説明を書くことも腹を立てているのです。(総理までもが!)

立場を表明するにしろ、しないにしろ、SNSの限られた文字数の中でスピード重視で意見を出すのは正しい意思表明なのか。
私たちはそこから考え直す必要があるように思います。

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