厳しくない現実

テキスト

差別や、社会問題(であると自分が認識している事)について「それが悪とは思えない」という立場から考えると、今の自分には有意義だと感じるようになった。
自分の意見に真っ向から反論してくる人を設定して仮想問答をすると「私はなぜそれを悪と思うのか?」というのがクリアになって、すべきことが見えてくる気がする。

人といると、良くも悪くも連帯感が強くなり「暗黙の了解」が増えていく。そうして「暗黙の了解」ゆえに文脈を説明する必要が薄くなれば、自分の考えを見直す機会も減ってしまう。
反論する人は必ずしも敵ではなく「今は相容れなくてもこれから分かり合えるかもしれない人」というのを忘れたくない。

わかっている。私は性善説で世界を見すぎなのだ。
現実の認識が甘いんだろうけど、それでも「性善説だといいなあ」とか言ってしまう(言いたくなってしまう)、自分を、あまり否定したくない。
「現実は厳しい」って言葉はよくあるけど、やさしい現実だってあるじゃん。そっちも忘れたくないな。

現実だか実際だかリアルだかわかんないけど、性格。これは私の性格です。

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