
2024年に、自分がずっと好きだった趣味を二つ手放した。どちらも物心ついた頃から心の杖のようにしていて、この調子なら一生好きなんだろうと思っていたのでまさか離れる選択を自分がするとは思っていなかった。
離れたこと自体に悔いはない。戻すつもりもない。
しかし、これまで“それ”を持っていた手は不安定で、ふと我に帰った時に、まるで幻肢痛のように“それ”を持っていた時間と持っていない今のギャップに戸惑う。
客観的に見れば、特に困ったことは起きていない。程度はどうあれ趣味に過ぎないので、手放したところで実生活に支障はない。ただ、おそらく自分が思っている以上に、杖としての役割を果たしていたのだろう。実生活に支障はないが、生活に支障は多少出ている。
何となくいつも漠然と不安である、という点で。
これまで、衣食住に必要なもの以外のものは、思い入れはどうあれ、あってもなくても困らないのだと思っていた。しかしどうやら、そうではないようだ。
私の手は長い時間をかけ、“それ”を持った上で他のものを持つように変形していたらしく“それ”を手放したあとに、手のひらを、指を、持ったものを支える手首を、どう動かしたら良いのかいまいちよくわからないでいる。
いずれこの不安定さに慣れるのか“それ”の代わりに違うものが入るのかわからない。
ただ、“それ”の代わりにはまだなり得ない、何か小さな粒が手の中で、指先で、沸々と動いているのを感じるのだ。
子どもの頃、手のひらにポンと飛び込んできた“それ”とは違い、“これ”は大人の私が育て、大きくする必要がある。確信には至ってないが、確信に至れるまで、あるいは諦めるまで、温めてみようと思う。
“これ”本体を、“これ”を育てられるであろう自分を、自信はなくても何となく信じること。
“それ”の喪失感から先へ進むのに必要なのはそういうことなのだと思う。
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