わたしをさしださない

朦朧日記

ワークライフバランスを放棄する云々という言葉に心がザワザワする。SNSを見ない日にした。

政治家から出るバズ狙いのような雑な言葉、それを直球で受け止め、阿鼻叫喚するおなじみの展開。うんざりする。発言主さの浅はかさもあろうが、その雑なバズ構文で踊らせ得ると思われていることにも腹が立つ。

権力者が発するのは指針であり、従うべき命令でもなければ何かにお墨付きを与えるものでもない。
無条件に受け入れて首をたれるのも勝手だが、市民には、抵抗や無視や反論をする権利がある。
「馬車馬のように」と言われたところで自ら鞍を受け取りに行く必要はない。それは勲章ではない。受け入れたところで何も保証しない。
拒否する自由は失われていない。

私たちはネットやSNSでいろんなものを得られるようになった気がするけど、実際のところ、途方もない量の小さいものを玉石混交の濁流に流してしまった。流れていったものに気が付かないから、流れによって何かがもたらされているように、錯覚してしまう。

流れて行った中には自らの権利や自由、また思考する力も含まれているからだ。“濁流”は流れに抵抗する時間を与えないよう、恣意的に作られたものでもある。
少し考えればわかるはずなのだ。本当は。

私たちはまず、ごく一部の尖った要素から先を予測して、我先にと手を出すような思考やコミュニケーションから降りるべきじゃないだろうか。
それはコミュニケーションではなく、どちらかといえば言葉で丸め込むような詐欺に近い。
スピードにスピードで対抗するのをやめる。天井知らずの力と量で押し切ることから降りる。そしたらもっと、小さいものとも遅いものとも、弱いものともささやかな事とも、ちゃんと話ができるんだよ。

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