Ado「ビバリウム」の感想

Adoを描いたイラスト テキスト
Adoを描いたイラスト
ビバリウム Adoと私
一般書「ビバリウム Adoと私」のあらすじ、最新情報をKADOKAWA公式サイトより。小さな画面の向こうに、生きる理由があった。歌い手・Ado、半生の物語。

Adoちゃんの、幼少期から今に至るまでののほぼノンフィクション小説『ビバリウム ーAdoと私』を読みました。そして話題になった実写MVを見たら、高まってしまったのでテキストを書きます。

まず小説の感想ですが、「うっせえわ」からしばらくは、ほぼ大人のコントロール下で動いているんだろうと思って見ていたのでデビュー時から本人の意思によるところがかなり大きかったのだというのは、ちょっと意外でした。

“歌手”ではなくて“歌い手”としてあの規模で活動するというのは前例がないことだし、その難しさと、それとは裏腹のすごい勢いとのジェットコースターの中で、しかも顔を出さずに爆走し続ける。その中で、10〜20代という年齢相応のアイデンティティを身につけていくというのは、かなりハードなんじゃないだろうか…。

一部を除いては、意外性のあるエピソードはそう多くなくて(…たぶん。これまでのトークとか聞いていたら「なるほど」という内容だと思う)、だからこそあまりにもシンプルに、”Ado旋風”の尋常でない勢いと、それを実直に努力と根性で伸ばしてきた本人のありようがどっしりと際立っており、うーん、色々とすごい。

実写MVを公開に伴ったトークの配信で「Adoはいつも、余裕なんですよ。私はAdoになりたい。」と言っていたのが、なんというか、全部を表しているなあいう気がしました。

MVの後半に出てくる、笑顔で駆けていくイラストの“Ado”を、実写Adoが苦しそうに追いかける描写は、理想の”Ado”に追いつこうともがく本人なんでしょう。
そう思うと、切実さが伝わって来てちょっと泣いてしまった…。

そして、小説のあとがきの言葉が、真摯を通り越してあまりにも思い詰めていて、中年のワタシはちょっと心配になってしまいましたよ…。

とはいえ、あのとんでもなく繊細な感性と、対をなすようにタフでな歌唱スキルの相互関係が、“Ado”を作り出しているんだよなあ。あーあ、すごいなあ。おいおいおい〜〜。

好きです。

この記事のヘッダーの画像は、前にお誕生日記念に書いたイラストです。
私が書くとみんな丸顔になっちゃうんだけど、Adoは丸顔ではなかったね。恐縮です。

Adoが手を広げて歌っているイラスト。足元には青い薔薇が。

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