社会課題について人と話していると、自分も関わりのある“課題”としてその話をする一方、頭の片隅で「これはこの人にとってのミッションなんだな」と感じることがよくあります。
必ずしも、推し活だとか趣味を深めるとかのハッピーなモチベーションではなくて「やらざるを得ない」という感じの。

以前、差別やヘイトについての話をしていたら「〇〇だから××すべきなんです」という発言の後「でもひどい言葉に触れると感情的になっちゃって!うーん反省だな〜!」というようなことをストレートに言う人に出会いました。
本人は、半分ひとりごとのような感じでその話していたのですが、私はなんとなく勝手にその人に感謝しておりました…。
すべきことと感情がせめぎ合ってしまうのは私も同じだからです。
ただ、そんな自分を恥じて人には言ってこなかったので、その人が胸の内を言ってくれたことで、私も同じだと言うことが出来、また、その上で「でも頑張りましょう!」と話せて、それがすごく、よかったんだ。
こういうふうに、葛藤しながら、それでも問題に立ち向かっている人を見ると、ハッとします。
私はたいてい何をするにも「色々あるけど、まあなんとか行くか〜!」みたいな感じなんですけど、それってたぶん、思いや願いを信じて持つのが怖いからなんですよね。保身のために「大丈夫じゃないかも」と一応思っておく、みたいな。
自分のそういう部分を自覚しているからこそ、問題意識に一直線な人を見ると、その逃げのなさに胸を撃たれ「私も真摯に行こう」と奮い立たせられるのです。(と、言いつつまた「なんとか行くか〜」の温度に戻るんですが…)
とはいえ!そんなふうに真正面からミッションに向き合うのはかなり根性がいるはず。
はたから見ていると「あまりのめりこみすぎるのも…」とか言いたくもなりますが、勝手な心配でそんなストップをかけるより、話に耳を傾け、自分も純度200%の返事を返す。それが最もその人への、また、そのミッションへの誠実な態度でしょう。
自分の中の小さな変化を感じつつ「いろんな社会の変化も、私個人の小さい変化も、こういう人の行動の賜物なんだろうなあ」と思う。ありがたいことだな。
「あんまり頑張りすぎないで」「体を大事に」とか言いかけて、ワンクッション置いて「うーん、なるほど!ファイトです!」とか言ってみる。
心の中では多分「私もな!」と思っている。
コメント